「信長、甥に殺された」 「本能寺の変」で上杉景勝の書状分析

カテゴリ:歴史関連ニュース
日時:2005/05/06 19:01

北國新聞社より。
織田信長が家臣の明智光秀の謀反(むほん)で死亡した一五八二(天正十)年六月二日の「本能寺の変」の一報が、北陸には信長が甥(おい)によって殺されたという内容で伝わった可能性があることが、金沢学院大美術文化学部の石崎建治助教授の調査で分かった。
5/5付けのニュースだけど。

景勝の書状による本能寺の変をまとめると、

毛利攻めを行っていた「木下藤吉」(羽柴秀吉)は捕らえられ、死亡。秀吉を救援に行った信長は織田七兵衛(津田信澄)によって切腹させられる。

となる。 もう、「仮想戦記モノ?」ってくらい、景勝の書く本能寺の変は我々が知っている歴史とは異なっていて笑える。

何で秀吉が捕まってるんだYo!
信長本隊まで押すなんて、毛利つぇー
信長が切腹したタイミングは?(毛利と戦ったんでしょ?)

もちろん元記事にもあるように、「蘆名家を混乱させる意図」が入っていた可能性もあり、景勝自身が信じていなかったとしても不思議ではない。

誰がどの時点でどれくらい正確な情報を得ていたのか? うん、実に面白いテーマですな。