1994年9月のコンピュータ業界

カテゴリ:雑記
日時:2005/02/23 23:36

ファイルサーバを整理していたら、古いデータが出てきた。アスキーでWindows Magazineという雑誌を作っていたときのものである。

Windows Magazine用のディレクトリWinMag下には、年月別にサブディレクトリがあり、「94_11」から始まっている。このディレクトリ内のファイルのタイムスタンプは1994/09。つまり、1994年9月に作っていた1994年11月号用のデータということだ。もう10年以上前になるのか。当時はニュース担当として、新製品の記事を主に書いていたんだよなぁ。

発掘されたファイルには、忘れていた事実や死語が記録されていた。 新製品の記事を読むと、時代を感じる。当時の新型ノートPCのスペックは、

 CPU:486DX4 100MHz(をー、DX4か)
 メモリ:8MB(少なっ!)
 HDD:340MB
 ディスプレイ:DSTNカラー液晶(で、DSTN……あったねぇ)
 OS:MS-DOS 6.2/V+Windows 3.1

これで価格が54万8000円。そう、まだWindows 3.1の時代なのだ。DOSが必要だったのだ。CD-ROMドライブはまだ貴重品で、FDでOSをインストールしていたのである。

ほかの原稿は……うぉお、cc:Mail! いい製品だったなぁ。ノーツは嫌いだが、cc:Mailは便利だった。IBMは「OS/2 J2.11 for Windows」(Warpじゃないよ)を新発売。「横河・ヒューレット・パッカード」という社名も見られる。ウィリアムズBMWのスポンサーをやっているヒューレット・パッカードも、当時の日本法人は横河電機の資本が入っていたのである。

デスクトップPCの中には、Pentium 90MHzを搭載したものも登場し始めている。さすがにPentium搭載機はハイエンド用であり、価格も84万9000円。いまなら立派なグラフィックワークステーションが買える値段だ。

この号のトップ記事は、スティーブ・バルマーのインタビューだった。Windows 3.1の後継OS、つまり開発コードネーム「Chicago」(当時はWindows 4.0になると思われていた)の正式名称がWindows 95になるという発表が行われたばかりの時期にマイクロソフトの重鎮のインタビューをやっていたのだ。すっかり忘れていたが。

テープ起こしのメモによると、こちらの「Pentiumに最適化したChicagoを作ってはどうか?」という提案に、バルマーが「大変いい考えだ。それに取り組むかもしれない」などといっている。結局、そんなものは出さなかったがな。

ほかにも、Cairoのこと、NECの98シリーズ問題、ナチュラルキーボードなど、いろいろな話題についてバルマーが語っている。こんな話したっけなぁ。