徳川将軍家十五代のカルテ
カテゴリ:日本史
日時:2005/06/04 00:15
徳川将軍の病歴や死因を医学的に考察していると思われるタイトル。本をパラパラとめくると、「骨は語る 徳川将軍・大名家の人びと」にも掲載されていた遺体写真が目に入った。
これは期待できる
早速購入したのだが、実際に読んでみると何かがおかしい。ハッとして筆者名を確認すると、そこにはトンチンカンな論法で俺をしみじみ失笑させてくれた「モナ・リザは高脂血症だった 肖像画29枚のカルテ」と同じ筆者名が記されていた。
ああ、騙された……。 相変わらず、論法は相当トンデモである。秀吉の北ノ庄攻めのエピソードを挙げて、筆者は語る。
ここからはわたしの想像なのだが、お市の方は城を去る娘たちに向かい、「織田家の血を守り、父の仇秀吉に復讐せよ」といい含めたのではなかろうか。ええ、あなたの想像です。というか、単なる妄想です。そもそも、市の娘の父は浅井長政ではないか。父系でいえば、「浅井家の血」である。まぁ、「わたしの想像」と自覚しているだけマシである。
筆者の暴走は止まらない。
たぶん秀頼は淀どのが城内の若侍とまぐわってもうけた不倫の子なのだ。母の遺言を忠実に守った茶々は、見事、秀吉にリベンジを果たしたとみてよかろう。ここまでくると、妄想と現実の境界は曖昧である。誰だよ「若侍」って。「まぐわって」なんて書く必要ないし。そして、先ほどは筆者の想像に過ぎなかった市の遺言は、もう事実化している。これだけでは終わらない。
お江与の嫉妬はすさまじかったが、これには理由があった。「織田家の血を守れ」との母の遺言がつねに脳裏にあり、側室たちの懐妊を警戒したのだ。いや、市はそんな遺言してないし。多分、筆者は自分の妄想を信じてしまったのだろう。
意味不明なシチュエーションを構築するのも得意だ。
(水戸光圀について語った後)こんな光圀だから、もしもテレビドラマ『水戸黄門』の撮影現場を通りかかったら、「オマエハ何者ダ」といきなり黄門役の俳優を刺し殺したかもしれない。光圀(多分、江戸時代の本人のことだと思う)が水戸黄門の撮影現場を通りかかる理由が分からない。カタカナでしゃべる理由はもっと分からない。一体、この筆者は何を書きたかったのだろう。
まともなことを語っているときも、油断してはならない。「奇妙な世界」はどんなところにも入り込んでくる。綱吉が母桂昌院の位階を望み、浅野長矩がその勅使供応役になったことが忠臣蔵の遠因。有名な話しだし、そこまではよい。
大石内蔵助が好々爺の上野介を殺害したのは大いなる誤りだった。リベンジの刃はマザコンのかたまり将軍綱吉の胸に向けられるべきだったとわたしは確信する。確信しちゃいましたか。もうメチャメチャである。「遠因」はあくまでも「遠因」だ。赤穂浪士が吉良義央を恨むのは逆恨みだが、綱吉を「桂昌院の位階を望んだから」という理由で恨むのはもっと逆恨みである。「幕府の仕置きが納得いかないから」なら分からないでもないが。
殿中でわけのわからぬことを叫びながら刃物を振り回した浅野の状態は、現代医学でいう統合失調症にみられる被害妄想……とあるが、「わけのわからぬことを書きなぐった本を出版した医者の状態」にはどのような病名が適当だろうか。
そう、筆者は医者なのだが、怪しげなことを平気で口走る。
家斉は、交合中に多くの女性から長生きの粘液素を吸収する術を会得して化け物のように頑強なからだをつくりあげた。あんた、ホントに医者か?
ほかにもツッコミどころは山ほどあるが、きりがないのでもう止めておく。とにかく酷いシロモノだが、ここまでは失笑で済ませることができる。それどころか、とてもかわいそうな人を見かけたときに感じるような、優しい気持ちにすらなれそうだ。次の個所さえなければ。
(家康が胃がんで死んだ話を受けて)発病がこれより二年早ければ徳川幕府は存続しなかったかもしれない。徳川一門はこの健気な胃がんを大明神として祀り、がん研究者に多額の研究費を奉納すべきであろう。すごいことをいうねぇ、この人。勉強さえできれば、どんなヤツでも医師免許って取れるんだっけ?
つまり、筆者は「がんで先祖を亡くした」子孫に対して「がんに感謝せよ」と説き、「多額の寄付」を迫っているわけだ。「がんへの感謝」を説く異次元感覚も衝撃的だが、寄付を要求する品性には開いた口がふさがらない。この筆者がいる病院にだけは行きたくない。死んでもイヤである。
というか、アレだな。筆者はまず本のネタになってくれた家康を東照大権現として祀り、日光東照宮および徳川家に本書の印税の大半を引き渡すべきであろう。
篠田達明。その名前、しかと覚えた。二度とコイツの本を間違えて買わないように。