唐突に上越観光(林泉寺編)
カテゴリ:雑記
日時:2005/09/19 10:22
土曜日は、野暮用で直江津に行ってきた。せっかくなので、周辺を観光。最初に行った五智国分寺は後回しということで華麗にスルーし、まずは林泉寺から。
1497年(明応6年)、長尾能景により創建された寺で、見所は惣門、山門、墓所に宝物館か。平成9年建立の本堂は、立派だけど興味なし。
最初に見ることになるのは、春日山城から移築された惣門。地元の人によると、十数年前はこの門をくぐって入っていたそうだが、いまは近づけないようになっている。
上部が唐様、下部が和様という、ちょいと変わった作りの山門は、大正時代に再建されたもの。古そうに見えるが、結構新しい。表の「春日山」、裏の「第一義」は謙信直筆だが、いま掲げられているのはそのレプリカ。オリジナルは宝物館で見ることができる。 「藤原輝虎」署名入りの書や謙信自画像などなど、小作りながら見るべきものが結構ある宝物館もなかなか楽しい。当然ながら、撮影禁止。
次は墓所。苔がむすほど多湿で汗が止まらない。薮蚊も多くて、少しでも動きを止めると体中たかられる。とにかく手足を動かし続ける、不審なパフォーマンスが要求される。季節にもよるが、行くなら覚悟が必要だ。
最も立派なのは、やはり謙信の墓。その横に伸びる小道を少し行ったところにポツンとあるのが長尾能景、為景親子の墓。なぜこんなに離れているのか。
そのほか、景勝の会津移封に伴って春日山に入った堀秀治とその父越前北庄城主 秀政、祖父秀重、榊原政令、政賢親子など、松平綱賢(越後高田藩主 松平光長子)の墓もある。全部回るころには汗ダクダクである。
ここでタップリと汗をかいたら、次は春日山城 本丸攻めだ。これまたハードプレイであった。
1497年(明応6年)、長尾能景により創建された寺で、見所は惣門、山門、墓所に宝物館か。平成9年建立の本堂は、立派だけど興味なし。
最初に見ることになるのは、春日山城から移築された惣門。地元の人によると、十数年前はこの門をくぐって入っていたそうだが、いまは近づけないようになっている。
上部が唐様、下部が和様という、ちょいと変わった作りの山門は、大正時代に再建されたもの。古そうに見えるが、結構新しい。表の「春日山」、裏の「第一義」は謙信直筆だが、いま掲げられているのはそのレプリカ。オリジナルは宝物館で見ることができる。 「藤原輝虎」署名入りの書や謙信自画像などなど、小作りながら見るべきものが結構ある宝物館もなかなか楽しい。当然ながら、撮影禁止。
次は墓所。苔がむすほど多湿で汗が止まらない。薮蚊も多くて、少しでも動きを止めると体中たかられる。とにかく手足を動かし続ける、不審なパフォーマンスが要求される。季節にもよるが、行くなら覚悟が必要だ。
最も立派なのは、やはり謙信の墓。その横に伸びる小道を少し行ったところにポツンとあるのが長尾能景、為景親子の墓。なぜこんなに離れているのか。
そのほか、景勝の会津移封に伴って春日山に入った堀秀治とその父越前北庄城主 秀政、祖父秀重、榊原政令、政賢親子など、松平綱賢(越後高田藩主 松平光長子)の墓もある。全部回るころには汗ダクダクである。
ここでタップリと汗をかいたら、次は春日山城 本丸攻めだ。これまたハードプレイであった。