台風接近中の尾張侵攻

カテゴリ:雑記
日時:2004/10/11 11:55

10/10 22:30ごろ、鈴鹿から無事帰宅。>曉雨堂乙

毎年何らかの波乱があるものだが、今年は格別であった。

金曜は1時間ごとに鈴鹿サーキットのWebサイトや各種ニュースサイトをチェック。19時すぎには、土曜全セッションの中止と日曜に予選と決勝をやる旨が発表され、荒天下での観戦という恐怖からは解放されたことを知る。仕事中に何をやっているのやらという感じだが、社長からも「どうなるの?」と聞かれていたことだし、半ば公認の行為であると強引に自己正当化してみる。

次の懸案事項は、名古屋行きの特急券が6:20発 8:00着ののぞみであること。宿のチェックイン時間まで、台風接近下の名古屋で何していろというのか。そもそも、新幹線は動くのか? 9日、東京駅の窓口で名古屋までの乗車券を買い求める。窓口のお姉さんに、「静岡までしか動きませんがよろしいでしょうか?」と聞かれる。

 ぜんぜんよろしくない

が、お姉さんに台風を逸らしたり新幹線を無理やり動かす力があるとは思えないので、文句をいっても仕方がない。

長期戦を覚悟していたが、新幹線は途中で徐行したり停車しつつも40分遅れで名古屋に到着。夜、宿でTVを見て、後の便は運行見合わせで東京駅から動いていないことを知る。もし、遅めの便にしていたら……あぶないところだった。

名古屋方面は夕方には雨も止み、宿がある岩倉に着くころには晴れ間も見えていた。せっかくなので、織田伊勢守家(弾正忠家信長により滅ぼされる)の居城である岩倉城跡を見物。大山巖筆の日露戦争戦没者慰霊碑の方が立派なのはいかがなものか。

ところで、大山巖の肩書きが、「元帥 侯爵」となっていたが、「爵位を後にする」などの決まりがあったりするのだろうか? それともたまたまその順番にしたのだろうか? 無知なので判断がつかぬ。