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ジョニー・デップと英国王室の遠戚関係が判明か

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/05/16 13:07
MovieWalkerより。

英BBCのセレブリティーの先祖を探る人気ドキュメンタリー番組「Who Do You Think You Are?」のリサーチャーで、系図学者のニック・バラット博士が、俳優のジョニー・デップが英国王室と縁戚関係にあたることを発見したと発表して話題になっている。
う~む、エドワード3世の子孫て……。

現在の英国王室のエリザベス女王もエドワード3世の子孫
いや、間違ってませんがこのレベルでよければ誰の子孫にでもなってしまうような。おっと、エリザベス2世の先祖を適当にたどっていったら、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ4世に行きついてしまった!
(女系も含めてですが。男系だけではエドワード3世にも行き着きません)

故ヨハネ・パウロ2世列福者に150万人が参集

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/05/02 00:14
MSN産経ニュースより。

ローマ法王ベネディクト16世は1日、バチカンのサンピエトロ大聖堂で前任者の故ヨハネ・パウロ2世の「列福式」を行った。サンピエトロの広場にはカトリック教徒ら150万人が世界中から参集した。
予定通り、ヨハネ・パウロ2世の列福式が挙行されましたね。人気の高い教皇ですから、次は列聖ですね。

法隆寺「初代」の若草伽藍か 新たに壁画片350点

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/24 13:08
MSN産経ニュースより。

 法隆寺(奈良県斑鳩町)で平成16年に出土した遺物から、7世紀前半の図柄や色彩などが残る壁画片約350点が新たに確認されたことが23日、同町教委の調査でわかった。これまでに見つかっている壁画片と同タイプで、「初代法隆寺」とされる若草伽藍(がらん)に描かれていた可能性が高く、国内最古の寺院壁画とされる資料がさらに補強された。
ふむ。

幻の古代寺院「神雄寺」跡? 馬場南遺跡で新たに塔跡出土

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/17 22:28
MSN産経ニュースより。

 「続日本紀」などの正史に登場しない幻の古代寺院「神雄寺」跡とされる京都府木津川市の馬場南遺跡(奈良時代中期~後期)で新たに同時代の塔跡が見つかり、16日、同市教委が発表した。同遺跡ではすでに仏堂(本堂)跡や礼堂(らいどう)(礼拝堂)跡が確認されており、今回の発見で寺の主要な建物跡がそろい、全体像が明らかになった。
ふむ。

ゴッホの黄色:変色の謎解明 絵の具中のクロムが化学変化

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/15 09:09
毎日jpより。

 ゴッホ(1853~90)が好んで使った黄色が、歳月とともに変色するメカニズムを、伊ペルージャ大などの共同チームが大型加速器を使って解明した。絵の具に含まれるクロムの化学組成が、紫外線で変化することが原因で、作品復元にもつながる成果だとしている。15日発行の米化学専門誌に掲載される。
ふむ。

薬師寺の十一面観音、平安時代の聖観音と判明

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/14 21:17
時事ドットコムより。

 薬師寺(奈良市)は14日、同寺が江戸時代作の十一面観音像として所蔵してきたものが、平安時代中期(10世紀)の聖観音菩薩像を作り替えたものだったと分かったと発表した。
ほう。

天保のそば、伝承は本物 170年前の実と分析

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/13 15:15
MSN産経ニュースより。

 古民家の屋根裏で見つかり、約170年前の天保の大飢饉(ききん)をきっかけに備蓄されたと伝わるソバの実は、言い伝え通り天保年間(1830~44年)に収穫された可能性の高いことを、山形大が最新鋭装置の分析で突き止めた。
ふむ。

皇居の石垣を搬送した遺構? 加賀藩日記に記録

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/10 18:45
時事ドットコムより。

 皇居の石垣の修復工事で、江戸時代に石を運んだ「石引道路」など二つの遺構が発見され、宮内庁は10日、報道陣に公開した。石垣を含む江戸城跡は国の特別史跡。見つかった道路の遺構は桔梗濠(ききょうぼり)近くにあり、石の搬送時に敷かれた角材とみられる跡がくっきりと残っていた。
桔梗濠というと、桔梗門と大手門の間、巽櫓などがあるあたりですかね。

松江城下町遺跡の家屋敷跡から貨幣など出土

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/10 17:01
MSN産経ニュースより。

 松江市教育委員会は9日、県道拡幅工事に伴い、同市南田町の松江城下町遺跡から、江戸時代初期(1650年ごろ)に建てられた武家屋敷跡が見つかり、貨幣やキセル、土人形など数百点が出土したと発表した。~


 屋敷の掘っ立て柱穴跡は約50個以上(直径約0・5~1メートル)で、礎石も見つかった。当時の絵図から江戸時代に松江藩の筆頭家老だった大橋茂右衛門の家臣の屋敷跡とみられる。
ふむ。しかしまた、なぜ武将姿で説明ですか>柚原恒平氏 むしろなぜその写真を載せないの?>MSN産経ニュース

追記:
こっちに武将姿で説明しているイカす写真が載ってました。

中大兄皇子と中臣鎌足が出会った「槻の木の広場」につながる道路跡発見

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2011/02/09 23:03
産経ニュースより。

 奈良県明日香村の飛鳥寺西方遺跡で、飛鳥時代の東西の道路跡と推定される石敷きが見つかり、県立橿原考古学研究所が9日、発表した。645年に乙巳(いっし)の変(大化改新)を起こした中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)(天智天皇)中臣鎌足(なかとみのかまたり)が出会ったとされる「槻(つき)の木の広場」のすぐ西側で、橿考研は「広場の景観を復元する重要な資料になる」としている。
このニュース、一瞬スルーしそうになりましたが、アノ「槻の木の広場」でしたか。蹴鞠をしていた皇子の鞠を拾う鎌足……なんてのがお約束ですかね。

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