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江戸期以前の地名ひもとく古文書 大津・聖衆来迎寺

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/20 09:11
Yahoo!ニュースより。

大津市比叡辻2丁目の聖衆来迎寺(しょうじゅらいこうじ)で、室町時代に現在の高島市にあった田畑の所在地などを記録した古文書「御忌日田事(ごきじつでんこと)」1通が見つかった。県教委文化財保護課は「江戸期以前の地名を示す文書は珍しく、地域の歴史を伝える貴重な史料」としている。
ほう。



江戸時代の薬屋 甲府の「高室家」が国重文に

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/18 22:34
Yahoo!ニュースより。

江戸時代の医家で戦国時代には武田家従軍医として仕え、その後は昭和55年ごろまで家庭薬の製造・販売を続けた高室家の住宅と土地(山梨県甲府市高室町)が、医家の住宅形態を現代に伝える希少な遺構であるとして国重要文化財の指定を受けた。~


 高室家は甲斐源氏の小笠原一門。武田信虎信玄勝頼に仕え、武田家滅亡後は徳川方入りした家史が残る。武家だが、代々医家として名をなし、江戸末期までは屋敷北側に医学を志す若者たちの寄宿棟があって、常時数人が実習や講義を受けるため現代の全寮制のような生活していたと伝えられる。
へー。


白石原遺跡:弥生中期から江戸時代にかけての遺跡群、広範囲に出土

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/16 09:31
Yahoo!ニュースより。

佐賀市教委は14日、同市久保泉町の白石原(しろいしばる)遺跡で、弥生時代中期から江戸時代にかけての遺跡群が広範囲に出土したと発表した。弥生、古墳時代の集落跡のほか、約100メートルに及ぶ中世の屋敷の区画溝も見つかり、各時代の生活の様子を知る貴重な資料という。発掘現場は17日、初めて一般公開される。
弥生時代から江戸時代にかけてとは、面白いですね。

ちなみに白石原遺跡といえば、2010年3月には弥生時代後期(2世紀後半)の鏡片も出土していますね。

<三国志>最古級の写本、2巻同時に 1月から展示

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/13 16:02
Yahoo!ニュースより。

中国で5世紀に書かれ、日本に伝わった「三国志」の最古級の写本「三国志呉志巻第十二」(残巻)で分離した2巻が、来年1月8日~2月20日に京都国立博物館(京都市東山区)で開催される特別展「筆墨精神-中国書画の世界」で、初めて並べて展示される。
へー。見たいけど、京都ではちょっと難しいですね。もっとも、見たところでぜんぜん読めないわけですが。

丹波亀山城:石切り場跡から和歌山城主の刻銘 「天下普請」動員の印?

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/08 23:18
Yahoo!ニュースより。

江戸時代初期の1610(慶長15)年、徳川幕府の命による「天下普請」で改修された丹波亀山城(亀岡市)の石切り場跡から、当時の和歌山城主、浅野幸長の名を示す「あさのきい(浅野紀伊)」と刻まれた石が見つかった。改修から400年目の節目に調査した市教委は「天下普請にかかわった外様大名の動向を知る手掛かりになるのでは」としている。
城がらみの発見が続きますね。「亀山城」は西日本の各地にあり、丹波亀山城は明智光秀の築城。『功名が辻』において、羽柴秀吉麾下の山内一豊家臣の小崎重高(小説およびドラマでは五藤吉兵衛)が一番乗りを果たした亀山城は伊勢の城で、今回の亀山城とは別物。国名まで付けていないと混乱しそうです。

造酒屋敷跡:仙台城隣、3棟の建物跡発見 米蒸すかまど跡も

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/08 22:45
Yahoo!ニュースより。

仙台市教育委員会は6日、同市青葉区の仙台城三の丸跡(現市博物館)に隣接する江戸時代の造酒屋敷跡の今年度発掘調査で、3棟の建物跡の一部や米を蒸すためのかまど跡などが見つかったと発表した。~


 造酒屋敷は、仙台藩祖の伊達政宗が大和国(現在の奈良県)から招いた職人に屋敷を与えたのが始まりで、一族は「榧森(かやのもり)」の苗字を名乗ることを許され、1608(慶長13)年から1876(明治9)年まで酒を造り続けた。屋敷跡の発掘調査は08年度から行われており、今年度の第3次調査では約420平方メートルを調査した。
今度は仙台城(青葉城)ですか。

16~17世紀の井戸跡確認 舞鶴・田辺城本丸跡

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/07 22:27
Yahoo!ニュースより。

舞鶴市教委は6日、田辺城(京都府舞鶴市南田辺)本丸跡の地中で井戸跡一基を確認した、と発表した。戦国武将細川藤孝(幽斎)による築城当初から次の城主京極氏にかけての時代(16世紀末~17世紀初めごろ)に使われたとみられる。本丸の詳しい資料が残っていない中、市教委は「細川・京極期の本丸内の様子をうかがう重要な資料」としている。
田辺城といえば、引用元の記事にもある通り細川幽斎が築いた城。関ヶ原の戦いに先だって西軍に包囲された籠城戦が有名ですね。この戦いは幽斎の命を惜しんだ後陽成天皇の勅命で和睦し、開城することになりましたが。

「京極期の1600年~25年ごろ」というと、細川氏の後に丹後に入った京極高知の時代でしょうかね。ちなみに高知の父京極高吉は、きっと「江~姫たちの戦国~」にも出ますよね。まだキャストは発表されてませんが。

長谷堂城門扉は15~17世紀製 最新装置で年代測定

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/10/06 09:01
Yahoo!ニュースより。

山形城主の最上義光軍と直江兼続率いる上杉軍が激突した1600(慶長5)年の慶長出羽合戦の舞台、長谷堂城の扉とされる「長谷堂城大手門扉」(山形大博物館所蔵)が、15世紀半ばから17世紀前半のものであることが分かった。山形大が高感度加速器質量分析装置(AMS)を使って行った年代測定の結果で、同大が5日、発表した。
へー。

長谷堂城といえば、上杉領120万石を30万石にした知将 直江兼続が、圧倒的な大兵力で攻めて落とせなかった城ですね。慶長出羽合戦当時のものかと思うと、胸が熱くなるなぁ。

ツタンカーメンはきょうだい婚の子=死因は骨折とマラリア

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/02/17 09:38
Yahoo!ニュースより。

黄金のマスクで知られる古代エジプト王、ツタンカーメン(新王国第18王朝、紀元前14世紀)は、アクエンアテン(アメンホテプ4世)とその姉妹の1人との間に生まれ、骨折にマラリアが重なって死亡した可能性が高いことが、エジプト考古学チームによるDNA鑑定やコンピューター断層撮影装置(CT)の調査で分かった。
ふむ。従来は母はキヤとされていたが、違うってことかな。

曹操の遺骨、DNA鑑定計画=上海の大学が子孫の男性募集

カテゴリ:歴史関連ニュース
日付:2010/01/27 18:14
Yahoo!ニュースより。

中国で真贋(しんがん)論争が続く三国志の英雄で魏の始祖、曹操(155~220年)の墓をめぐり、上海の名門・復旦大学が出土した男性の遺骨のDNA鑑定を計画している。父子間で遺伝するY染色体を子孫との間で照合すれば鑑定は可能として、「曹」姓の男性の募集を始めた。
……まぁ、がんばってくれ。
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